なんといってもここは古城ハイデルベルク城が堂々として町を見下ろしている。急傾斜をバスで登ったところから徒歩で入場。城は13世紀頃からプファルツ伯の居城として拡張され、ゴシック、ルネッサンス、バロックなど様々な様式が5世紀の年月の間に建造された。しかし、30年戦争やプファルツ継承戦争や火事で破壊され、廃墟のような状況も見られる。
さて、ここに来る道中バスの車窓からなんだか煙(水蒸気?)の立ち上がる、独特な格好の建物が見えました。後でガイドさんに聞くと原発だそうです。海からは遠いのでライン川などの大きな川の水を使っているようです。が、こんなに一般の住民の生活圏の近くにあるとは!
ドイツが日本の福島原発の惨状を受けてすぐに脱原発に転じることがなされたのはこうした住民の生活圏のすぐ近くに原発を作ってしまったからではないかとこの時確信してしまいました。
日本は人里離れた場所にひっそりと隠れるように建設し、そこからロスがあっても送電線を首都圏へとのばしてきました。反対運動を起こしづらいところに目をつけて電力メーカは作ってきました。日本とドイツの違いが垣間見れた瞬間でした。
この話はこのくらいにしておいて、ハイデルベルクを後にして今度は古城街道を東進して、この日の宿泊地のロテンブルクへと175キロ。途中のレストランで昼食を摂って到着したのは夕方でした。ローテンブルクは正式にはRothenburg ob der Tauber(タウバー川の上にあるローテンブルク)といわれ、国内にいくつかローテンブルクがあるといいます。町の起源は9世紀で最初の城壁は12世紀にできあがったとされます。自由都市として栄えたのは17世紀の30年戦争頃までで
、中世の姿を完璧に残した小都市(人口11000人)。
ホテルのあるシュランネン広場に入るとそこは中世。城壁に登るとここを復元した時に寄付を募った折に日本人企業家も協力して名前が刻まれていました。
夕食までの間、町の中をショッピングして歩きました。中世の街並みの店、ウインドウからみてもとても美しい風景で写真愛好家としてはたまりませんでした。娘はこれからクリスマスマーケットの準備が始まる前で賑やかな飾り付けや、有名なお菓子(英語でsnow ball)にありつけてご満悦。(実は私も旨くてはまった)
宿泊は中世の城を改装したシュランネンという広場の真ん前のホテルでした。ホテルの前評判は狭いとかあまりよくないとか酷評されていましたが、私たちの部屋はトリプルを2人で使えたのでとても心地よく過ごせました。
夜9時前にはマルクト広場に面した市庁舎、市議宴会館に老若男女が集まり人だかりになっています。ひとつは市庁舎の仕掛け時計マイスタートルンクの人形に注目していました。
夜20、21、22時の正時には仕掛け時計が動き出します。ティリー将軍とヌッシュ市長が現れます。1631年30年戦争の時にローテンブルクを占領した皇帝軍のティリー将軍が市参事会員たちの首をはねることになったけれど、将軍はすすめられたワインをジョッキで一気飲みするものがあればそれをやめるといい、市長がこれを一気に飲み干して事なきを得たという伝説らしいのですが、それが仕掛け時計で演じられているといいます。私達も見てみたけれど、話の筋書きを知っていればよくわかるのだろうが、この時はあまり理解しておらず、????という感じ。
ここに私たちは見ていましたが、近くの飲み屋で飲んでいた中世のコスチュームを着た男性が市議宴会館前で何やら語りを初めました。ドイツ語なのでよくわからないのですが、ローテンブルクの名物おじさんらしく市の観光案内に掲載されていました。ところどころ笑いも入れて、あやしい大道芸人ですが、近くのレストランで飲んでいたのをみてしまったものですから変な感じ。
下の写真はきれいなウインドウのディスプレー(飽きません)。もう一つ下は仕掛け時計。将軍と市長が出てくるところ。
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